もうじき新しいアルバムのレコーディングに入る。
一昨年、実に9年振りにアルバムを作った。なぜそんなに年数がかかるのか、べつに遊んでいた訳ではない。曲を作るペースが極端に遅い訳でもない。
それまで通り自分のためだけに細々と曲を作り人前で演奏してもいたが、大方の時間は人様のために曲を書いていたのだ。89年に出した1枚目のソロアルバムがきっかけとなって、色んな方から作曲や作詞の依頼が来るようになった。
そんなこんなで、あっと言う間に9年。
その9年間にお仕事で発注されて書き下ろした曲や詞は自分でも把握できない数になりつつあった。思えばバブルという磁気嵐に揉みに揉まれながら「修行」に専念したのだ。
勤め人になった事のない私が、あくまで商品としての作品を書く。発注主の意図するものと違えば、何度もやり直しをさせられる事もある。
世の中の動きやトレンド、社会性。
それまで私にはまったく関係ない事だと思い込んでいた作法の数々を嫌でもマスターしなければ、才能や能力さえ否定されてしまうのだ。
こんなつまらない事で、こんなつまらない人間に、「つまらない音楽家」扱いされる位なら、いっそキチンと何でもやりこなしてみせようじゃないか! いささか可愛気の無い動機だが褒められれば誰だって気分が良いものだ。
求められているものを勘よく嗅ぎとり、締め切りは必ず守り、どんなに理不尽な提案にも愛想良く。遅刻もしません文句は言いません基本的に依頼は断りません。そのうえで常に私らしい音楽である事。(とても矛盾しているようで、でもここが一番の肝なのだ。)
そうしてホイホイ御期待に添っているうちに、もう後戻りは出来なくなっていた。本来の音楽活動から軌道が徐々にズレ始めた事に気付くも、目の前の締め切りをさばくのに手一杯。睡眠時間の確保すら困難なのだ。
それでも逃げ出す事もせず心が病む事もなく体を壊す事もなかったのだから、良く言えば案外柔軟に、要するにかなり「いい加減に」修行に励んでいたのだろう。
この修行によって自分のためだけに音楽を作っていた頃とは比べ物にならないくらい見識も高まったし、何より瞬発力や集中力は格段に増したのではなかろうか。気分が乗らないなどと悠長な事は言っていられないのだ。瞬時に「物つくりモード」に突入出来なければ仕事にならない。しかも私にとっての最良の物つくりモードは、御存じの方にはお馴染みの「眠いとき」なのだ。
つまり一瞬にしてあまり人様にはお見せ出来ない、どうにも間の抜けた全然カッコよくない状態に変身せねばならない。因果な商売だ。
修行の中にはとんでもない荒行も含まれていて、既存の音楽を聞かされて「これに感じがよーく似ているんだけど違う音楽を作って欲しい」というムチャクチャな事を発注される場合がある。
当たり前のプライドや良識ある人間の口からはまず聞かれない言葉だが、恐ろしい事にごくごく稀に起きてしまう。
本来自分のために音楽を作ってきた人間にとってこんな荒行は丁重にお断りするべきものだが、ついつい意地悪心が湧いてきて、そんな発注がいかに無意味であるかをその人物に思い知らせて差し上げたいという理由だけで、何くわぬ顔で引き受ける事もある。
意地悪なのか親切なのか。
しかしそれ以前に、他人を揶揄する行為までもが創作のエネルギーとなる事に我ながら驚いてしまう。
音楽って、いくらでも野蛮になり得るのだ。
嗚呼、ナマグサキモノ。
自分の中にある、理由のない創作衝動。
ただその一点に耳を澄まし、純度を追求する。
身体はその通過のための材料でしかなく、自分の中にいつのまにか降り立った「何か」と対話し続けることで半ば衝動的に、必然の作品がうまれる。「自分」であって「自分」でない。
この感じは、とてもよくわかる。
そうして過ごしていた時期が私にはあるし、今の私もある部分では多分そうなのだろう。
でも私は全然へっちゃらに、例えばこの場合は「音楽」を使って他人を嬉しがらせたり悲しませたり軽蔑したり攻撃したりする。もっと傲慢な事には、「音楽」で何かを教えようとしたり諭したり救おうとしたりしてしまえるのだ。私に限らず多くの作家がそうやって音楽を作りあげているはずだ。
そして「音楽」という世界の中では、意外にもそんな企てが簡単に成立してしまう。フォーマットされた感情データである事は百も承知のうえで、聞き手達は快く受け入れてしまうのだ。そして自分の体験になぞらえた独自の解釈をその音楽に与える。
一人歩きを始めたその音楽は、その時初めて世界でただ一つの、その聞き手のための音楽になるのだ。
その事を知りながら多くの作り手は自分の「意図」を意識し、どこまでも確信犯的に、ある時は無自覚を装いながら音楽をつくり、発表する。受け手もその成り行きをどこかで期待しつつ、楽しんでいるのだろう。
音楽を作る人間にも受け取る人間にも絶対に欠くことの出来ない自意識、思い込み、計算、自己欲、自己愛。それがいやで乗り越えたいなら、もう宗教に委ねるしかない。
先頃あるアーティストのあまりにピュアな創作姿勢に、久しぶりに背筋の伸びる思いがした。
音楽の世界には住んでいないそのアーティストの言葉は、きらきらと脳を巡り幾つかの回線をショートさせたそののち、ストンと喉元を通りすぎて私のおなかを少しあたため、蒸発した。
確実に脳は揺れたし、私の身長は0.5cm高くなった。
私の中の、しばらく使われていなかった部屋の扉を神妙に開いてみる。ためらわずに重いカーテンを引き、窓という窓をすべて開け放つと、夏の風と月の明かりが一気に流れ込んだ。
たまにはこういう刺激もいいものだ。
たくさんのものと引き換えに、あの奇跡がある。
その部屋のまん中にたたずみながら私はとても気分が良かった。
(了)-2000.6.19- |