第12回 『要らぬ散財』

 最近の若い女性達は、本当にスタイルが良い。
手足はスラリと伸びているし、パッと見た感じが痩せている様でも、実は肉厚な迫力のある身体つきの女の子が多い。肘や膝や手首など、骨の形が露出する部分からは必要以上に痩せた印象を受けるが、真横から見ると厚みもあって堂々としなやかな今時の少女達の立ち姿に、ぼんやりと見愡れていることがある。

もともと電車などに乗ると、綺麗な顔だちの人やセンスの好い年配の御婦人なんかをついついジーっと観察してしまう癖が私には有るのだ。どうかすると訝し気に睨み返されてしまうので、一応の気を遣いながらチラチラ盗み見ることにしている。
ある時など、やはり物凄く整った顔だちの女性を熱心に、でも出来るだけさり気なさを装いながら見ていたところ、突然ウインクのお返しに遭ってしまい、そそくさとその場を立ち去る羽目になった。
美人は大好きだが、その手の趣味は持ち合わせていないのだ。

 このごろの若い女性は、足は長いが些細な衝撃で骨折しやすいだとか、内臓を支える筋肉が弱っているだとか、小顔なのは顎の骨が未発達だからだとか、国民平均値より体温が低いだとか、色々現代病的なマイナス面も指摘されているようだけれども、街を闊歩する女の子達が素敵なのに越したことは無い。腰高で手足の細い小顔の彼女達を見ていると、やっぱり元気が湧いてくる。

デパートの化粧品売り場で慎重に品物を選ぶ彼女達。
うんと若いうちから正しく化粧品を扱えるのは、大変に良い事だ。
自分を実物より素敵に演出したり飾る事を楽しむなんて、自分をきちんと知らなければ出来ない事なのだ。だから女の子達が身綺麗にしていると、ほんとに嬉しくなる。
ほとんどお節介なオバサマ的発言のようだし、わざわざ私なんかが言うまでも無い。
誰にとっても素敵な女の子は希望の源だ。

 こんな風になりたい、こんな顔になりたい、あんな女性になりたい、あんな風に見られたいと、願えば必ず叶うもので意識の持ち方次第によって、肉体は如何様にも変化するそうだ。
自分の中に揺るぎないビジョンが存在すれば、根気強くイメージすることで少しずつでも理想に近づけるのだと言う。

これは容姿に限ったことでは無い。将来自分がどうあるべきか、という明確なビジョンを 持ち続け、まさにその通りのシチュエイションを獲得してゆく人は沢山いるだろう。
常に行き当たりばったりな人生を送ることに決めている私の場合も、徹底した行き当たりばったり的人生を全うするつもりであれば、それが明確なビジョンと言えなくもない。
ものすごく具体的な、細部にまで入念にこだわった、将来の自分像。
計画性や気の遠くなるような根気が必要だろうが、ごく若い時分にこれがインプットされている人とそうでない人の間には、ゆくゆく雲泥の差があるのだという。
恐ろしい限りだ。

 最近他人との話のやりとりで、昔の己の姿形をじっくりと思い出す機会があった。
そして行き当たりばったりな私にも、「この部分がゆくゆくは、こんな風になって欲しい!」と強く願った経験があるのを思い出した。

私はかつて巨乳娘だったのだ。
それもある時を境に、急激に巨乳になった。
体も小さいし、生活態度も基本的には子供趣味で、それはホントの子供だった頃から変わっていない。ずっとクラスでは前から一番目。級友達が「前へならえ」の時、当然私は直立不動か腰に手をあてる決まりだ。体つきも長い間オコサマな感じだった。
「こまっしゃくれた小さな女の子」というビジュアルは大人達から受けが良かった為、身体の小ささをコンプレックスに感じた事は無く、そのせいなのか、いつまでも背が伸びなかった。

が、何より私の身体の成長を止めていたのは、長年に渡るクラシックバレエの訓練だと思う。
とても厳しいバレエ学校に物心付く頃から通っていたのだ。
同時にピアノやらスケートやら、もちろん自ら好んで様々なお稽古ごとに打ち込んでいたが、一番長く続いたお稽古ごとがバレエだった。週に3〜4日、みっちりしごかれる。
結果、筋肉の発達が骨の成長を妨げていたのか。特にバレエダンサーになる志しが有ったとは記憶していないが、随分きびしい稽古に喜んで通っていた。

今でも体を動かすことは好きで、海外からのコンテンポラリーダンサーが日本での公演と並行して開くワークショップなどに、たまに参加する。
海外では日本人ダンサーの体型や動きを好む振付家もいるらしく、日本人に対して深く関わろうとする誠意が感じられ、私が参加したワークショップはどれも内容の充実したものだった。
ダンサーになる人として踊るのではなく、あくまで自分の内側の問題として、五感や神経を総動員させて関わる。ちょっとした整体の名医にかかるよりも、スッキリする。

 今でこそ自分にとっての有害無害が判断できるが、小さい頃から当たり前のようにレッスンを積み重ねて来た場合、私のような生真面目な(?)人間は、当時ただひたすら稽古に埋没してゆくしか無いのだ。
中学2年まで怒濤のお稽古人生は続いたが、心境の変化だったのか、先ずピアノのレッスンをやめ、スケートやその他のお稽古をやめ、3年生の終わりにはいきなりバレエのレッスンもやめてしまう。
自覚症状はあまり無かったが、ほとほと疲れ果てていたのだと思う。

体力的にというより、あまりにも沢山抱え込み過ぎた人間関係に、疲れてしまったのだ。
それぞれのお稽古場で、それぞれの人間関係がある。ある時には励みになるが、気持ちがついていかなくなると、面倒で面倒ですべて投げ出したくなる事もあった。

 そんな訳で長年続けたクラシックバレエのレッスンには、いともあっさり行かなくなってしまう。
そして丁度その頃から、なんと私のペッタンコの胸がむくむく成長を始めたのだ。
びっくりするような話だが、ほんとうの事で、我が胸をじっと見つめていると現在進行形で成長が確認できるほどの猛スピードで大きくなっている。年齢的にも第二次性徴期に差しかかっていたのだろう、みるみる私の二つの乳房はその頃の国産のブラジャーでは収まりきらないほど巨大になってしまったのだ。
まだ巨乳が一般的では無かったその当時・・・。まさに「たわわ」状態。
正直なところ、こわかった。
「私の胸は一生こうなのか」と、人知れずブルーになったものだ。

 不自然な巨乳状態はそれからしばらく続く。とにかく落ち着かないのだ。
同性からは羨ましがられたり、やっかまれたり、何かと面倒臭い。
街ですれ違う人々の視線が明らかに私の胸部に移動するのを見ると、あまり良い気分ではいられない。胸が重いから肩も凝るし、気に入ったデザインの洋服でも胸が入らないから諦めなければならないのだ。

何もいいことが無いに等しい。「とにかく小さいバストになりたーーい!!」と日々願っていた。
「男の人は皆オッパイの大きい女の人が好き」的図式が一部にあるが、決して皆が皆そうではないはず、いや、この際男の人の好みなどどうでもよい、自分の悩みが最優先だ。
神様、どうか、ちいさく愛くるしいバストを私にお与えくださいーーーーー!!・・・・、と夜毎真面目にお祈りしていたのだ。

 お祈りの甲斐あって、今現在の私の乳房は割と小さくまとまっている。
大昔の巨乳を知る人々からは「何があったの?」と気の毒がられたりするが、私はすこぶる満足なのだ。
ほどほどが一番。

 1999年の晩秋の街は、久し振りのフォルクローレ流行りもあって、女性達の装いがひときわ面白い。
ぬくぬくと暖房の効いたお店やカフェでは、ノースリーブ姿の女の子があちこちに見られる。
一昔前では考えられなかった光景だ。
はち切れんばかりの豊かなバストは秋冬ものの華奢なキャミソールに包まれ、居心地がよさそうだ。
ちょっとやそっと胸が大きすぎたり逆に小さすぎるからって誰も気にしない位、世の中暮らし易くなったという事か。のびやかに街を行く彼女達を見ると、他人事ながら妙に嬉しくなって、要らぬ散財をしてしまうのだった。

(了) -1999.11.13-