第16回 『タクシー』

 一人暮らしをしていた頃、今から思えばかなり食生活に気を遣っていた。  
多くの一人暮らし派がお手軽さ故に好むインスタントラーメンは殆ど食べなかったし、スナック菓子や清涼飲料水の類いも、よほどの理由が無ければ買わなかった。
冷蔵庫には、お手製ひじきの煮物、シラス干しと卵の炒り合わせ、ポテトサラダ(もちろんお手製)、鶏肉と胡瓜の酢の物など、ものすごく健康に良さそうなお惣菜が何種類も常に作り置きしてあった。
 お酒をしこたま呑んで帰っても、必ずお米を研いで炊飯器に仕掛ける。そして朝目覚めると同時に炊飯器のスイッチを入れ、炊きたての御飯で朝食を摂るのだ。

 時間が無くて御飯を炊いたり出来ない時には台所の流しの前に立ったまま、トマトに塩を振りかけて丸齧りの後これも必ず冷蔵庫に入っている6Pチーズとレバーペーストをその場で絞ったレモン汁と一緒にお腹に流し込む。

 今の何倍も健康的な食生活だったわけだが、これには多分理由がある。
 私は25才位まで、料理と名のつくものが一切出来なかった。

 実家の台所を手伝った事も無いし、手伝えと言われた事も無い。林檎も満足に剥けなかった。
おむすびを握っても、巨大なこんぺい糖の形をした爆弾おむすび。お皿を洗わせれば割ってしまう。
「極端なまでに家事に不向きな人間」が、当時の私のキャラクターだった。
友達から「ダリエは遊ばせておくに限る」などと同情に満ちた暖かいお言葉を頂戴していたのを良い事に、お料理系はもっぱら他人に任せ放題。
大学2年の時から始めた一人暮らしで、あまりに料理とは縁遠い我が体質に愕然としたけれど、一向に興味は湧かず。しかし外食やレトルト物に頼るのも嫌で、湯豆腐やお刺身など、あまり手を加える必要の無い献立で誤魔化しながら何とか凌いでいたのだった。

 何年も何年も「料理が作れない女」を半ば肩書きの様に自負していたが、ある時突然料理に対する興味が こんこんと湧いてきて、分厚い料理の本と首っ引きでありとあらゆる献立をとにかく作りまくり、一月程で大体一通りのものが作れるようになってしまった。

 そうなると今度は作る事が大好きになり、暇を見つけては何かしらチョコチョコこしらえる。料理をする行為そのものが快感になる。

「何も出来ないから、しない」状態から「何でも出来る、頑張れば」への移行が急速すぎたせいもあるが、それまでの手抜き調理生活を挽回しようと、不自然なほど料理好きな女に変身してしまったのだ。
料理だけではない。食材を利用した化粧水まで、せっせせっせと作っていた。
そうして冷蔵庫にはひじきの煮物や手作りの昆布の佃煮、レモンと焼酎で作ったローションなど、数カ月前には考えられなかった様な物が一気にごろごろ増えていったのだ。 
まだまだ遊び歩き盛り、しかも一人暮らしの娘っ子の冷蔵庫に、お手製のお惣菜が何種類も作り置きしてあるなんて、微笑ましいを通り越してむしろ無気味だ。

 食品栄養成分分析表を参考にしながらカロリー計算したり食塩含有量を調べてみたり。
とことん閑だったのだろう。
のんびりと一日中カスタードプリンを作っていた日もある。
台無しにした卵3パック、牛乳3リットル・・・。
こういうケースは本人の気が済むまでやってみるしか無い。

 夢中でのめり込み過ぎたその反動でまた元の料理嫌いに逆戻りする弊害が無かったのは幸いで、今も日常的に料理はする。必要な時には思いっきり手の込んだ物もこしらえる。
台所にどんなに長時間立っていても平気なのである。

 しかし仕事がたて込んでいる時や単純に面倒臭い時には迷わず即、外食する。
忙しくて時間が無いくせに、結構遠方まで車を飛ばして食べに行ったりする。望む物をたらふく食べて、気分も変わり、ドライブも満喫し、楽しく仕事に戻れるという訳だ。
やっと自分なりの料理や食事に対するバランスがとれて来たのだろう。

 何らかのトラウマが災いして苦手だと思い込んでいたものが、ある弾みで呪縛から解放されると、それまでの辻褄を合わせるべく不自然なまでに「大好きなもの」になってしまう。
私は「タクシー」に乗る事が、好きだ。
自分で車を運転するし、運転そのものが嫌いな方では無いが、「タクシー」に乗っている事がとても好きなのだ。
ボーっとしたい時や、頭の中を整理したい時、わざわざ「タクシー」に乗り込んであても無く適当に行く先を告げ、2〜30分窓の外に流れる景色を眺めていると、とても気分が良い。
夜だと更に御機嫌で、薄暗い車内でゆったりとシートに収まってあれこれ考えたりするのは、映画館の暗闇に浸っているのと同じくらい好きだ。
人さらいに遭っている事がまるで理解出来ていない子供みたいにボンヤリと楽しい状況も好きだし、信号待ちで目の前を通り過ぎる人の群れを普段より低めの視点で眺めるのも面白い。

 最近では視力矯正手術のパンフレットや癌予防に役立つ漢方薬の申込書などが備え付けのボックスに入っていて自由に手に取って見ることが出来るのだが、タクシー以外では何処で入手するのか、他ではなかなかお目にかかった事が無い。
一番手前のやや斜めに手荒く差し込まれたパンフレットは、タクシーで移動する大勢のビジネスマン達の暇つぶしに読まれたのだろう、大分くたくたになっている。
相当激しく読み込まれたらしきその一冊の陰に、隠れるようにひっそりと手付かずの真新しいパンフレットが何部も据え置かれている状況から察して、これらの小冊子が効果的に消費者の手元に行き渡っているとは考えにくい。
しかしそんな事はどうでも良いのだ。
胃もたれするほど積極的な広告よりはお気楽でよろしい。タクシーをこよなく愛する私としては、脈絡なく窓ガラスに何枚も貼ってある「東宝系劇場にて一挙公開!」みたいなシールだって全然OKなのだ。

 極端な嗜好には、極端な理由がある。
料理の時と同じく、私がここまでタクシーが好きな理由が、やはりある。
タクシー酔いの激しい子供だった私への荒療治に、母はとにかく私をタクシーに乗せたのだった。お稽古ごとに母がついて来る時はタクシー、授業参観の帰り道は当然一緒にタクシー、お買い物の行き帰りはタクシー。
母が一緒の時は電車に乗って移動していても、目的地の二つ手前の駅で降りてタクシーに乗る。とにかく何が何でも毎日タクシーに乗ることで、苦手なタクシーを克服させようとしたのだった。
吐き気に見舞われながら一瞬母が鬼に見えたことも正直あったが、気がついた時にはタクシー酔いは消えていた。
タクシーを見るだけで気分が沈み、あの自動扉が開いて後部座席のシートが見えただけで吐き気に襲われていた日々が嘘の様だった。

 以来タクシーが大好きになる。
そこそこ大人になって一人で自由にタクシーに乗れる様になると、必要以上にタクシーを使った。
アンバランスな嗜好。
今でもタクシーに乗っていれば機嫌が良いが、たまに夜中のタクシーで、道に疎くて遠回りをするタクシーの運転手と言い合いになることがある。当然その場でタクシーを降り、別のタクシーを拾って帰って来る。
「また喧嘩したのか」  
と、主人によく呆れられる。
タクシーが死ぬ程大嫌いだった頃の名残りなのかも知れない。  

(了)-2000.2.2-