第4回 『好き嫌い』

 見るつもりなど無いのに何故か偶然見てしまう番組がある。

某民放のテレビ番組で、男女のゲストが差し向いで食事をし、相手の苦手な料理を当てっこするという内容だ。偶然見てしまう訳だから大抵は何かのついでに見ていることが多い。
洗濯物をたたんでいる時とか、領収書を整理している時とか、これといって張り詰めてはいない平淡な状態でボーっと見ているのだが、結構おもしろい。

 司会はほぼ私と同年代で、好感度という点では今ひとつの男性2人組。デビュー当時のどことなくあっけらかんとした天衣無縫な切れ味の良さを思うと、片や極端な俗っぽさに対してこれも極端な芸達者の組み合わせが、 この御時世にあっては少々脂っぽいかも・・・。とは私の勝手な所見だが、残念ながら今回のテーマとこの2人組 とは何の関係も無い。

 この番組を楽しく拝見しつつ私がいつも不思議に思うのは、「ここに出てくるゲストの人達には例外なく嫌いな食べ物がある」ということだ。

 食べ物の好き嫌い。

誰にでもあるものなのだろうか。
生き馬の目を抜くような芸能界で第一線を張る役者やタレントは、必ずと言ってよいほどタフだ。少しの睡眠不足くらいで目の下にクマを作るようでは女優などとてもつとまらないだろう。過密なスケジュールをこなすお茶の間タレントだってアスリート並の体力の持ち主のはずだ。

彼等が健康に一線で活躍するうえで、食事は睡眠とならぶ重要な要素だ。繊細なアプローチを要求されるスタンスならば尚更それをフォローする肉体をとても大切に管理していると思われる。なんでも美味しく頂いて、どこでも すぐに熟睡できる。仕事がのっている時期ならば精神面の充足も手伝って、むしろ心身共に健康体と言えるかもしれない。そしてそういう旬なゲストが招かれている筈なのだ、私が知る限りは。

 ところがこの番組の中での彼等はそのへんのわがままな子供と同じように意味不明の言い訳のもと、当たり前の料理が食べられない。
鶏のとさかや鶴の舌などの奇怪な珍味ではなく、ごくありふれた例えば「いかの煮付け」とか「切り干し大根」とか、食文化の中にあってとてもニュートラルな家庭料理の類い。
アレルギーがあって食べるとたちどころに湿疹ができる、などの深刻な理由ではない。
ただ単に「嫌い」。ひどい場合は、涙目になりながら食べている。

人には必ず一つくらい嫌いな食べ物があるものなのだ----という大前提に誰もがどこかで共感しているからこそ、この番組は面白いのだろう。

 なぜ苦手なのか?の質問には答えなければならないシステムになっていて、そのほとんどが理由とは言えない ような我がままの部類に属する返答ぶりだ。
「だってヌルヌルしてるんですよ〜」とか「鰻が胡瓜といっしょになってて酸っぱいんですよ〜、変ですよ〜」 とかなのである。普段ビシッと役者さんできめてる人にもこんな一面があるのかと思いがけず素に触れた気分に させられるのだろうか、変に微笑ましくなってしまう。と同時に、私はとっても羨ましくなってしまうのだ。

 実は私には「嫌いな食べ物」が無い。

少食な方だが食べることは大好きで、やはり食べ物好きの妹とたまに食事に出掛ける。彼女には嫌いな食材が いくつかある。マヨネーズやピクルスや肝が食べられない。とても虚弱だった幼少時代の名残りだと思うが、母親譲りの可能性もある。苦手な物を妹ははっきりと板前さんに伝えることにしている。絶対に食べたくないのだ。

不思議なもので、そうした姿勢が客として誠実に映ることが多い。自分の中に確かな淘汰基準を持っていると 判断されるのだろう。
「嫌いな食べ物」が無い場合、この基準を持たないわけでは決してないが、他者からの見極めが難しいらしい。
目上の方からお食事のお誘いをうけることがあるが、「本当はどんな食べ物が一番好きなの?」と聞かれたことがある。 それも一度だけではない。
わりと真面目に聞かれるので、正直なところ少しがっかりする。
「好きな物は美味しいもの。嫌いな物はないんです。」は全く信じて戴けなかったようだ。

 ところで、妹と食事に行くとよく話題にのぼるのが「お魚の身」の一件。

「人の身になって考えなさい。」
昔、子供達を躾ける際に母がくり返し言っていたので私には既に耳にタコだったが、幼い妹には内容が呑み込め なかったのだろう。長い間「お魚の身のようになって考える事」だと解釈していたらしい!
故に妹は「お魚の身のようになって一生懸命考えていた」のだ。母のいいつけ通り。

ぞっとするほどシュールだが、我が家の食卓に魚が度々登場していたらしい事だけは推測できる。 そして今、岩魚の塩焼きなどを食しながら「お魚の身」の一件についてクスクスと囁き合っているなんて、 よくよく無気味な姉妹。これで好き嫌いもなく何でもペロリと平らげて仕舞っては、ちょっといただけない。人間のかたちをした妖怪様のよう。

 食べ物の好き嫌いは無い方が絶対いいに決まってると信じて疑わなかったけれど、オトナになってしまうと「嫌いな食べ物」の一つや二つあった方がいっそ素敵なんじゃないかと、少しは思えるようになってきたのだ、私も。

(了)-1999.9.21-