第2回 『眠いとき』
 たとえばコンピューターに向かって書き物をしている時、ピアノの鍵盤をなでるようにいじくりながら曲の手がかりを手繰り寄せている時、ふいに思い付いたモチーフを五線紙に書き取るだけのつもりがついつい続きをだらだらと書きすすめてしまっている時。

絶好調であるならば必ずと言って良いほど、睡魔に包まれる。

睡魔というよりはむしろ、寝不足のときの頭の芯がにぶく浮いたかのような、眉間に異物がはさまっているかのような、あの何ともいえない歯痒い感覚にちかい。

なんだか動きものろくなり、だんだん目つきもトロみが増してくる。もし家族に見られようものなら「そんなに疲れているんだったら顔でも洗ってさっさと寝てしまいなさい」とベッドに放り込まれそうな、どう見ても無能な状態。

一見フニャけたその状態こそ実は、私にとって最適な「物創りモード」なのだ。

 仕事を通じて知り合った人々と、少しは仕事以外の例えば趣味の話や日々の出来事、お休みの日の過ごし方や独自にあみ出した効率の良い洗濯方法なんかについて、スンナリと構えることなく話せるようになった頃。話しのついでに「どういう時に曲を造るのですか?」と聞かれることがよくある。たまにうけるインタビュー等でも似たような質問がある。作曲家に対する一種の社交辞令のようなものだと言っていいだろう。

その問いに対して私が常に用意している答えはこうだ。

「眠いとき。」

この女ふざけてるのか?と、やや憤慨気味の表情をうかべる相手とはこの件についてあまり深く掘り下げることはしない。話しの接点や共通言語が少なすぎることが分かりきっているからだ。興味深いシゴトをしている人や普段から面白いことを考えているような類いの人は、話の先を聞きたがるし自分もそうだと言わんばかりのほっぺたでニコニコしてくれる。

 「眠いとき。」という形容は一見乱暴で単純すぎるようだが、前述の言い知れぬ身体感覚をうまく表しているように思う。

ある種神憑かり状態にあるなどと大袈裟な話しではない。

たくさんの選択肢の中から冷静に冴えわたった頭で的確に判断しルートを割り出すがごとく物を造るなど、私のような種類の造り手にとって不可能に近いという事だ。

1秒を30分割した1フレームという単位からなる映像に対して1拍を480分割した1ティックの様々な組み合わせを用いてシンクロさせていくCMのような少々面倒臭い作業の最中にも、イメージが膨らめば「眠いとき」はやってくる。くつろいでいると身体のあちこちにぽっかりと想像上の隙間を生むことがあるが、その心地よい隙間に音色を流し込みたい衝動にまかせてピアノを弾きまくっている時にも、一個の言葉に何日も頭を占領され続けて否応なくその言葉をころがしころがし遊んでいる時にも、集中という名のツボにはまったが最後、「眠いとき」はやってくる。

結果「これぞ会心の作!」のお気に入りが出来たものの、あやふやな経過しか憶えておらず、残念な思いをすることになる。

間の抜けた話だ。

 そういえば自分でもびっくりした出来事がある。

随分前になるが、大学進学の頃。

幼稚園から大学までエスカレーター式の私立校に小学校から通わされていたので、いい加減外の世界が羨ましくなり始めたのだろう。大学ぐらいは自分で決めてみたいものだと、付属の大学や短大に進学してゆく級友達の群れから離れ、自ら浪人生活を選んだ。きちんと予備校通いをしながらボーイフレンドとまめにデートもし、新劇の劇団の研究生までこなす。超多忙だが脈絡に欠ける浪人生活を送っていた或る日、7月の半ばだったように思う。目覚めたときからどうも様子がいつもと微妙にズレている。

模擬テストの日のことだ。志望校記述欄には当然志望校を書かなければならない。書き慣れたはずの目指す某私立大学文学部のかわりに、聞き慣れない大学の複雑な学部名をどういうわけだかサラサラと書き込んでいた。

武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科。

静まり返った試験会場でこの超常現象ともいうべき事態。今から振り返るとこの手の話はかなりアブナイ。そんな眉唾な、である。しかし当時の私は妙に納得したような気分にさせられて、訳も分からず無理矢理この瞬間から私の志望校は武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科となったのだ。

メデタシメデタシ。

その翌日から美大進学の専門予備校にもガンガン通いだし、生まれてはじめてデッサンやら色彩構成やらを学んだ。さすがに劇団はやめてしまったが、幸運にも翌年の春、志望校に合格することが出来た。

どう考えても他人様のことのようだ。

何かが変。

とにかく自分でなんにも決めてないのだ、この人。

流されるまま、しかし確実に他力によって予想もしない場所へと運ばれていく楽しさは在ったと言うべきか。

現に何とか音楽を続けることが出来た恩恵の多くは、大学時代の友人達から貰いうけているのだ。  

 話はそれたが、「今回は良いものをつくって是非ともみんなから褒められたい」時は、まずは眠くなるようにしている。

今までの経験上どうやらそれが一番の方法らしいのだ・・・・。

(了)-1999.9.14-