音楽家が何人か集まれば、自然と音楽の話になる。
誰それの新譜が最高だとか、何処そこのバンドの何とかという曲は往年の何々を彷佛とさせるとか、そのプロデューサーの父親は誰々とバンドを組んでいただとか、あのバンドのこれこれという名曲誕生の裏にはこの様な逸話があったのだ、どうしたこうした、と果てしのない音楽談議になる。
話は様々な分野に飛び火し、近所のネコの事、車のエンジンの具合、家賃の事、特殊な能力の事、浄水器の必要性、友人の離婚の真相、プロバイダの事、将来の夢、その他いろいろな道草を経て遠回りするが結局はやっぱり音楽の四方山話に戻ってゆく。
元来お話好きな人種でもあるし、共通言語を確認しあう意味合いもある。
細かく歴史を知ることで雑多に散らばっていた知識や感動も体系立つし、コトバに置き換え反芻すると 吸収率も高くなる。とてもいいことだと思う。それは目に見えない栄養となって音楽的体力や勇気を
支えるのだ。
そしてあるとき音楽的衝動を生む。タイミングや体調、心の状態、環境さえうまく整えば、ごくごく小さな衝動がとてつもなく巨大な波動を作りだす。妄想や捏造の助けを借りながらその波動は徐々に作品へと姿を変えてゆくが、思い描く最終形に近づけるためには、決定的な導き手が必要だ。
多くの場合、その作り手に貴重な感動の楔を深々と打ち込んだ最初のアイドルの幻影に導かれ、その時点での、その人間にしか作り得ない、世界でただ一つの作品が出来上がる。
過去に存在したおびただしい数の他者の、又は自分の作品を踏み台にして。
大昔から現在までの情報はその作り手というフィルターをくぐり抜け、その作り手の身体を使って新しい作品を生み出す。
あたかも今まさにこの世に降って湧いたかのような、完全に新しくオリジナルな外見であったとしても、 どこかで過去の、誰かの、涙や息遣いや気配や痕跡とつながっている。
途切れることなくそれは鎖のように連なり続け、作り手と聴き手の関係が成立する限り終わることはない。だからこそ進歩してきたのだ。
アイドルの存在。こうして考えてみると、自分だけのアイドルに浮かれた経験なくして新しい作り手も
また存在し得ないことになる。多感な時期に心の奥底に造られた感動の器は一生消えることはないのだ。
さて、ここまで書いておいて話をひっくり返すようで申し訳ないが、私はいつでもアイドル不在だった。多分。
好きなアーティストが居なかった訳ではない。小学4年生の時には、何を隠そう吉田拓郎氏の熱烈な ファンだった。擦り切れるほど聴いた最初のアナログ盤は「ともだちオンステージ」だ。
親にチケットを取ってもらいコンサートにも行った。何故あそこまでのめり込んだのか。
学校は遠いし、お稽古ごとも相当忙しかったはずだが、とにかく物凄い勢いでファンだったのだ。
その当時の歌謡アイドル達とは完全に一線を画していたし、当然クラスには私の他に吉田拓郎を好きな友人など居ない。コンサートに行けば周りは元気そうなお姉様達ばかりだが、一緒になってキャーキャー騒ぐわけでもなくただ茫然とステージを見つめていた。
思えばその時期を最後に、何かを熱心に追いかけ聴きまくるという事はほとんど無い。11〜2年程前、木佐貫邦子というダンサーが気になってあちこち観に出掛けたことがある位だ。
私のアルバムを好んで聴いてくれたりコンサートに足を運んでくれる人達の多くは、とても音楽に精通している。お仕事関係は当然だが、音楽の場以外での友人達もやたら音楽に詳しい。
さぞかし私が様々な音楽を聴いて来たのだろうという推測のもとに和やかに音楽的会話が交わされるが、驚く程、私が音楽を知らない為に閉口されることもしばしばある。打ち合わせ中に海外ミュージシャンの名前がいっぱい出て来て、その度に「ゴメンナサイ。よく知らないんです。」などと言った日には「なにをカマトトぶっちゃって、作ったもの聴けば何が好きなのかぐらい分かります。」と返ってくる。まさか「小学生の時には吉田拓郎が大好きでした」とは言えず、我が身の勉強不足を嘆くが、こういうことはお勉強とは少し違うし、知らないものは仕方が無いとしか言えない。
プログレ、正しくはプログレッシブロックなどちゃんと聴いたことは無いが、一時期プログレ好きの友人達と行動を共にしていた頃、彼等の合唱による「くちプログレ」や飲んでいる時に絶えまなくオーディオから流れてくるプログレの数々をウルサイと思いながらも、ついうっかり何気なく聴いている
うちに、それは完全に私の血となり肉となってしまったのだ。プログレの名曲すら1曲も満足に知らない私の音楽を「プログレ色豊かな」と評する人は少なく無い。順序なんてどうでもいい事だが、だったら
プログレに限らず始めからちゃんと聴き直せばよい。
しかしそれも面倒だし、出会いのシチュエーションは人それぞれだ。
しかも私は年に1枚か2枚しかCDを買わない。
出歩かない、人と交わらない、バンドを組まない、ずっと家にいる。
こんな不精者でも不精は不精なりの利点がある。出無精で人にもあまり逢わないから、人に合わせる必要が無い。主人も幸い似たような質感の人間なので、とにかく自分の時間が沢山ある。もともと他人が気にならない方だが、こうなるといっそう自分自身に注意が集中する。
最近になって食べ物の好みが多少変わってきた。甘いものが好きになって来たのだ。
太りはしないようなので流れに身をまかせて、たっぷり食べている。一昨年前、理由は特に無いが呑みたくなくなり煙草をやめた。それ以来まったく煙草に手がのびることは無い。
少しずつ体が変化しているのがわかる。
内側へ内側へと関心が向く。内側の音を聞こうと努力する。
大昔飼っていた犬の匂いを急に思い出したりする。
逆さまから弾くのが好きだったピアノの小曲がつぶさに耳に蘇る。
なにかのサインの様に過去の記憶が脳裏に明滅する。
自らの内側を垣間見ることは、私にとってだんだん面白いものになってきた。
心にアイドルを持つ人々の常に還ってゆける空間のようなものが、
きっと私にもあるのだと思えるようになってきた。
それはとても安心できる空間だ。あまりにも偶然に音楽の世界に身を置いたがために、必ずや内在している筈のアイドルが、私には見つけられずにいるだけなのかも知れない。道しるべを照らしてくれる自分の中の導き手がもし不在ならば、これから先何十年と音楽を
作っていかねばならない事を考えると、随分つらい道のりだろう・・・・と思うのだ。
(了) -1999.9.25- |