2000年12月14日木曜日 壁に鼻をつけていると、海の音が 聞こえるそんな夜、夕暮れに騒いでいたカラスは今どこで眠っているのだろうかと思う。赤い空のせいで漆黒の翼が痛いくらいに鋭く 見えた。風のない電線の上に眠っているのか。

昨日の夜、男主人Hはいつものように深夜映画に夢中になっていた。 ときどき「いいなあ、ヒヒヒヒ」とか奇妙な声を出していた。それは少しいつもより楽しそうで、のどかな感じだったから、仕事をしようとしていた女主人Dの螺旋状の脳波にぶちあたってしまったみたいだ。「よっぽど面 白いのね、わたしにも分けて欲しいわ」などと嫌味を言われても、Hはまったく気にもとめず、1953年制作 の市川昆監督、伊藤雄之助主演「プーサン」に熱中していた。わたしは上目使いでその映画をちょっと見たら、顔の長い伊藤雄之助が キャベツを頭にのせている。色のない文化住宅はこの家にそっくりだ。Hは言った。「これっておれが生まれる一年前に作られたんだなあ」と。Dは答えた。「あなたは色のない町に生まれたのね」と。わたしはいろんな色に囲まれていて幸せなんだか不幸なんだかわからなくなった。

ハドソン

 

 

2000年12月13日水曜日 時折、北を向いた玄関のガラス戸がバタバタいう。渇ききった道を白いビニール袋が這うように舞う。まるで西部劇の1シーンのように、荒涼とした、黄色い景色だ。冬に生まれたわたしは、冬に死ぬ のだろうか。できればワイアット・アープに一発の弾丸で殺されたいものだ。

身体の動きがとても鈍い。寒さのせいならちょっと早すぎる。まだ冬はそんなに大風呂敷を広げていない。ダイエット・フードで力がでないのなら、胴回りはそれほど痩せていないし、尻はまだ大きいから、わたしはこのフードを売りつけた女性獣医を恨むだろう。だいたい獣医という人種は動物を生き物と思っていないところがある。わたしがいくら傷つけられたところで、器物破損にしかならないといっても、耳の中に直に薬の溶液を入れて洗わなくてもいいじゃないか。わたしはそのたびに目が眩むのだ。早く国会で、動物愛護と器物破損という矛盾を討論して欲しいものだ。国会がだめなら、朝生TVでもいい。

ああ、今日もめいっぱい寝てしまった。そしてつまらぬ ことを考えていた。折角、久しぶりに日記を書いたというのに。                           

ハドソン

 

 

2000年11月20日 月曜日 夜の大雨が少しずつ屋根にしみ込んで、台所の天窓の片隅から落ちて来た。日付けが変わると雨は強い南風になった。湿気たその風は胸騒ぎのする匂いがして、道端の自転車を次々と倒していった。枯葉は行き場なく、排水口につまっている。

どうにもこうにも今日の男主人Hは、テレビに張り付いて動かない。 余程面白いものが映っているのかと、わたしは寝たふりをしながら薄目を開けて見てみた。しかしそこに映っていたのはポマード臭い背広を着た爺さんばかりだった。眉間にしわをよせ、どの顔をとっても余裕がない。ただ眼鏡だけは高そうだ。 夕方6時頃、男主人Hは言った。 「時代が変わるかもね」 夜10時頃、男主人Hが吐き捨てるように言った。「とんでもなく時間の無駄 だったなあ」 その間、女主人Dは、パソコンの前の椅子にあぐらをかいて自分の仕事をしていた。わたしは思った。犬の選挙権は何歳からなんだろうと。

ハドソン

 

 

2000年11月16日 木曜日 全く陽の出ない日々が続く。漆喰の壁や床の間の柱が、しっとりと濡れているようだ。知らないうちに庭の地面 は、腐りかけた濡れた枯葉でいっぱいだった。

なかなか夜が終わらない。寝ても寝ても朝がやって来ない。何気なく起きても、水を飲みに起きても、家の中は外の夜でいっぱいだ。 こどものころわたしはこんな状況が不安でたまらなかった。静けさが音をつくる。自分の内部に在る生命をつかさどる音、それを聴いたが為に、その音が止んだ時の恐怖を思う。しかしそれはきっと、もっとも自分を近くに感じることでもある。そんな冬の中に、もうわたしはいた。

ハドソン

 

 

2000年11月15日 水曜日 霧のような雨が景色の時間を止めている。そんな静寂の中で、冬は確実に近づいているようだ。

時々寝転がる畳の感触が冷たくなってきた。北向きにある玄関の引き戸から、すきま風が吹き始めている。でかい3尾の金魚もずいぶ んとおとなしくなってきた。まだ暖かいころ、真夜中に突然水をま き散らしたり、水槽の壁にぶちあたったりしていた元気モノたちは今、静かにゆっくりと狭い世界を回遊しているようだ。 わたしはじっと昼過ぎになるとそれを眺めている。                           

ハドソン

 

 

2000年11月8日 水曜日 鉄塔をゆらす風はすこし冷たく、川辺の土砂の中に混じるガラス片が、宝石のように輝いていた。しかし確実に陽は傾きを増して、地平に吸い込まれていくのが早くなっ ている。

わたしにやっと毛布が与えられた。この黄色い「いないないばあっ」毛布がないと冬を越せない。このけったいな毛布は、女主人Dがその強運でビンゴによって勝ち取ってきた物だ。多分幼子を包み込むものなのだろうが、わたしにちょうど良い大きさだった。多少黄色に目が眩むけれど、そんなことより暖かさである。歌にあるように冬になると犬は喜ぶのか。わたしは喜ばない。炬燵があれば猫みたいに丸くなりたい。息子のバクにこの毛布の場所をとられないように、くれぐれも注意しながら冬を迎えよう。

ハドソン

 

 

2000年11月3日 金曜日 2階の窓越しに見える、雨で光る道が、朝方には風を吸い取っていた。ひび割れたアスファルトの模様が都市をわしづかみにしている。

珍しいことに、今日は男主人Hがわたしを夕方の散歩に連れていってくれた。Hは5時に夕食を作ることに関しては、異常なほどの使命感を持っているが、こと散歩となるとかなり大工のMさんに頼りきっている。Hが言うには、動物好きで独身で50才過ぎの大工のMさんにとっては、散歩は良い運動でもあり、大切な趣味のひとつであるという。それを奪ってしまうのは忍びないということらしいが、わたしにはHの詭弁に聞こえてならない。人間なのだからもう少し正直に、面 倒臭いのならそう言えば良いのだ。わたしは何も文句は言わない。その代わりたまに指でも噛んでやろう。 そんなことを考えながら、つるべ落としの夕闇の中を男主人Hにひっぱられながら、小走りに歩いた。

ハドソン

 

 

2000年10月31日 火曜日 庭のトタンが音もなく濡れる日 に、10月の日だまりが、枯葉といっしょに土に埋もれていった。

久しぶりに風呂に入れてもらった。一ヶ月ぶりぐらいだろうか。女 主人Dは、いつにないはりきりようで、ごしごしとわたしの身体を 洗った。男主人Hはソファでうたた寝をしながら呼ばれるのを待つ。 時々深い眠りに入り込んで、呼ばれても気付かず「なにやってんの」 と怒られていたりする。今日は息子のバクがそうはさせなかったよ うだ。思いきり興奮してHの顔をなめまくっていたのだ。わたしは バスタオル二枚でHに身体を拭いてもらう。長毛のわたしの身体は 濡れると半分ぐらいになって、顔も情けない。Hはなにか独り言を つぶやきながらわたしを拭いていた。そのつぶやきは誰に聞かれる ことも無く、11月になってしまった深夜が吸い込んでいった。 雨が少し強くなってきた。                           

ハドソン

 

 

2000年10月9日 月曜日 雨上がりの夕暮れ 陽気なはずの十月が鬱陶しい顔をしている。河口の橋脚に渦巻く水が、 少し濁っていた。

今日から、朝晩と散歩に連れていってくれる大工のMさんが、四日間いない。その間わたしは、やせ細った頼りない男主人H を引きずるか、いつも前向きな女主人Dの自転車に引きずられるか、どちらかだろう。ああ、ずっと雨が降り続かないかな。 大工のMさんはわたしを散歩させたりしない。ただ、外に出ていっしょにいてくれるのだ。空を見上げれば、同じように空を見て、歩くのを止めれば、同じように立ち止まってくれる。道路の真ん中でねっ転がると、ごつごつしたかたい手のひらで腹を撫でてくれる。わたしの自然を大工のMさんは知っている。しかしきっと女主人も男主人もはりきっていることだろうから 嫌な顔もできないな。ここはほんの四日間だけ我慢しようか。そうだ。犬の寛大さでもって、人間社会の一員として生きていかねばね。

ハドソン

 

 

2000年10月5日 木曜日 重くたれこめた雲から降りてくるような風が冷たい。完全な秋が道や塀を白くしている。

反省、反省。まずは10月2日の日記に反省。マネージャーのASさん、とても気分を害したでしょう。犬のつぶやきだと思って許してね。そういえばマネージャーという酷な職種は人間をほんの少し太らせるようだ。男主人Hの女性マネージャーMさんにもいえる。おっとあぶない、また反省するところだった。どうも最近、このわたしの日記の評判が悪い。感じたことや思ったことをストレートに書きすぎてるのかな。いやきっと文体が悪いのだ。それはみんな男主人Hのせいである。わたしはHがパソコンに向かって文章を書いているそばでよく眠っている。Hが文章を書いた手のひらを毎日なめている。知らないうちにHの癖が移ってしまったに違いない。みなさんもなめるものには気をつけて。

ハドソン

 

 

2000年10月2日 月曜日 秋雨に濡れるのは擦り切れたビーチサンダルだけではない。わたしの黒い鼻も瞳も濡れる。

随分と身体が軽くなってきたなあと思ったら、わたしは減量 に成功したようだ。あの大森の動物病院が勧めてくれたドッグフードのおかげか、階段の登り降りが楽になった。これは是非マネージャーのASさんに教えてあげよう。といっても相手は人間であった。人間が動物病院に行って、減量 ドッグフードを指差し、「わたしが食べるんですけど売ってくれますか?」というのもかなり変かもしれない。余計な御節介はやめて、わたしはもう少し頑張って二度目の恋でもしようかな。

ハドソン

 

 

2000年9月29日 金曜日 指先の煙草から灰が落ちて、わたしの鼻先をかすめても、ふんと鼻息で飛ばせるような日だった。

わたしにもしものことがあったなら、首を落として頭を焼いて、粉々に砕いてくれればいい。臓物や筋肉は備長炭でじっくり焼いて、カラシじょう油で食べればいい。残った体毛や尻尾はひからびさせて顔料にすれば、きっといい金色がでるだろう。とにかく人間よ、わたしが存在したという証を、何も残してはいけない。次に気持ちよくダンゴ虫として生まれ変われないから。

ハドソン

 

 

2000年9月27日 水曜日 惰眠の日々、夢をどんどん忘れて、残りかすのような現実と対峙して、わたしは唸るしかない。

二日続きの朝帰りをした女主人Dは、酒臭い手でわたしの顔を抱え「ハドはお上品だよねえ」などとよくわからないことを口走りながら、そのままベッドに倒れた。男主人Hは椅子の上にしゃがみ込みじっとテレビのリモコンを握りしめて、何も言わない。ちょっと部屋の空気が張りつめたのは、気温20度に満たない秋の朝のせいかと思ったら、それは男主人Hの怯えであった。Hはとても酔っぱらった女性を苦手にしているらしい。よほど今までに何かあったとしか考えられないが、わたしには関係ない。とにかく今回は、酔っぱらった女性は帰るなり化粧も落とさず、すぐに眠り、怯えていた男はその姿を見て胸を撫で下ろしながら、わたしに向かって少し微笑んだ。息子のバクは何も感じないのか、カワウソのように寝ている。これから秋は長いんだなあと、わたしは深い溜息をついて、ひんやりとした平穏を感じながら、また惰眠の中へ入っていった。

ハドソン

 

 

2000年9月20日 水曜日 高い青空の下、涼しい日陰の鼻先に、オニヤンマがとまった。

淡々とした日常をおくれる数少ない動物、人間たちはわたしたち犬族のことをそう考えているだろう。猫はとびぬ けた平衡感覚で高いところをうろうろする。金魚は狭い水槽の中をぐるぐる回り、たまに尾鰭で水を打つ。鳥は空を飛び、蝉はひと鳴きして死んでゆく。猿は群れを作り、戦いの中で産まれて、熊は季節に翻弄されながら生きる。わたしはただ眠り、飯を食う。しかしそうやって愛玩し、共に生きようとしているのは人間たちである。淡々とした日常をおくる才能を与えてくれたのは、ほかでもない男主人Hである。彼はわたし以上に抑揚のない生活に埋没しながら、ニコニコしていて、ちょっと心配だ。

ハドソン

 

 

2000年9月15日 金曜日 どんどん遠のく雲を見つめていたら、もう死にそうな蚊にまぶたを刺された。

わたしは走るのが苦手だ。垂れ下がった耳やわさわさした体毛や腹部の贅肉が上下にゆれて、名犬ラッシーみたいには走れない。散歩で外へ出たらまず家の前にじっと坐り、外を思いっきり吸い込む。外がわたしの中で少し溶けだしたら、ゆっくりと歩き始める。わたしは他の犬にも猫にも人間にも興味がないから、ただ黙々と歩く。そんな気持ちも知らないで男主人Hは、妙な使命感に燃えて、わたしを連れまわす。どうしたらわかってくれるのか、頭が痛いことだ。

ハドソン

 

 

2000年9月14日 木曜日 朝方に月は丸く、はっきりと地肌を見せていた。

珍しいことにここ一週間、男主人Hは忙しくしている。一人前に旅に出たり、音楽の練習なんかして、家に帰ると深刻そうなふりをしてため息をついたりしている。女主人Dはその姿を見て、ちょっとイラついたりして、地震でも来るんじゃないかと心配し、大切なディスクをまとめて、枕元に置いている。わたしにとってそんなことはそれほどたいしたことではない。この家は誰かしら居るから確実に食事にはありつけるし、出来は悪いが息子がいるから寂しいことはない。そんなことより、ちょっと普段より忙しくなっただけで、こんなに珍しがられる男主人Hという人間に少し憐れみをおぼえてしょうがない。こんな人間、いや犬にはなりたくないね。

ハドソン

 

 

2000年9月6日 水曜日 夜は水の都市、昼は全体的に灰色だった。

なんとなくイライラする。世の中とわたしの皮膚がこすれる音がする。キシキシと眠っていても音がするので、男主人Hに吠えた。Hは「どうした、神経質な顔をして」と言いながら、わたしの毛だらけの首をさすった。人間にできることはいつもこのぐらいのことなのだ。わたしはますますイライラしてHの手のひらをまさぐり、べろべろとなめた。およそ10分くらいそうやって唾液を出していたら少し気が晴れた。わたしの前ではみな手をさしのべよ。

ハドソン

 

 

2000年8月31日 木曜日 近づいてくる入道雲に怯えていた1日

わたしから回収(レトリーブ)するという本能がなくなってしまったのはいつの頃からか、憶えていないが、多分2、3才だと思う。スリッパや靴をくわえては怒られ、ティッシュや山芋をくわえては怒鳴られていた。知らぬ 間にそれこそ本能的にわたしはむやみに何かをくわえることをしなくなった。今はなにもくわえない。それなのに息子のバクは朝、夕の新聞をくわえる。玄関から新聞をくわえ、廊下を楽しそうに走り、居間に静かに置く。女主人Dに「偉いわねえ、バク」とかなり大袈裟にほめられて顔をクシャクシャにして、でかい舌を出して喜んでいる。それでもわたしは新聞をくわえたりなんか絶対しない。わたしから回収するという本能をもぎとったのはいったい誰なんだ、とか恨んだりもしない。わたしはこうして静かに生きていけるだけでいい。男主人Hがまたコーヒーをいれている。わたしはそのいい香りに包まれて夢の中へ走った。

ハドソン

 

 

2000年8月29日 火曜日 カルメラが膨れ上がるような日

わたしがふとベッドの横で目を醒ますと、頭の上に女主人Dの足先がぶら下がっていた。ああ、またいつものようにひき殺された農道の殿様ガエルみたいに眠っているのか。そう思いながらペロッと土踏まずをひとなめして、部屋を見回したら男主人Hは嬉々としてテレビを観ていた。しかも番組は「火曜サスペンス劇場」である。この二人に養われていることに少し戦慄を感じながら、それを打ち消すようにわたしは今日4度目の眠りに入った。いつかわたしも犬種はちがうけど「名犬ロンドン」のように、ドラマを作れる犬になってやろう。そしてこの二人に見せつけるのだ。絶対忠犬ハチ公にはならないぞ。

ハドソン

 

 

2000年8月28日月曜日 湿気た色の夕暮れに包まれたような日 

この日記が功を奏したのか、異常な夜は3日で終わった。しかし異常な夜のせいで日記をつける習慣が少し狂ってしまった。ただの三日坊主で、やっぱりものぐさな犬だと思われるのもシャクだからまた書き続けよう。

今朝方、珍しく男主人Hが倒れ込むように酔っぱらって帰ってきた。そのままの格好で1階のスタジオに眠り、起きたのはどうやら夕方の6時ぐらいだった。何度か息子のバクが顔をなめに行ったが、死んだように眠っていたらしい。全く誰も人のことは言えないのだ。Hは今日1日、妙に弱気で、小さくなって生きていた。

ハドソン

 

 

2000年8月21日月曜日 銀色に近い灰色の暑い日

異常な夜は3日前から始まった。3日前、わたしが心地よく眠っていると、突然女主人Dがわたしにむかって言った。「自転車、自転車、ハド、自転車だよ」 わたしは昔自転車で散歩するのが大好きだった。だからそう言われて喜び勇んで外へ飛び出し、思いっきり走ってしまった。それが運のつきだった。昨日の夜中にも、また「自転車、自転車」という声を聞き、「えっ」と思いながらも、顔はうれしそうに走ってしまったら、前の日の2倍の距離だった。足の裏の皮が夏の夜のアスファルトで少しすり切れてきた。3日つづきはないだろうと安心して眠っていた今日の夜の11時、階下から「自転車、自転車」という悪魔のような声がかすかに聞こえてきた。わたしは垂れ下がった耳でその声を閉ざして、かたく目を閉じ、身体に力を入れながらベッドの横で狸寝入りに入った。しかし犬の力は所詮犬の力である。わたしは引きずられるように外に出されて、暑い夜の工場街を走った。犬は走って灰になれるか。女主人Dは「気持ちいいでしょ、これで少し痩せられるね、ハド」と言いながら自転車を思いっきりこいでいる。わたしは痩せる前に、灰になれると確信した。                         

ハドソン

 

 

2000年8月18日金曜日 黄色のような灰色の日

水の臭いを嗅いだ。廊下を歩いた。階段の踊り場から外を眺めた。頭を後ろ足でかいた。鼻先に浮遊する毛玉 を吹いた。それでも時間が過ぎてゆかない真夜中、自己嫌悪に陥ろうとした直前に、カラスが鳴き、東の空が白んできた。深い青だ。顎をひんやりとした板の間に置いて目を閉じると、遠くの方で夏が終わってゆく音がする。

ハドソン

 

 

2000年8月16日水曜日

あまりにも静かで、退屈だから眠ろうと思った。でも眠るのももったいない。水でも飲んで考えようと、台所に行ったら、男主人Hがコーヒーをいれていた。この男は1日3回はコーヒーをいれている。ひょっとしたらそれが仕事なのかもしれない。そんな馬鹿なことを考えながら、自分の尻尾を追いかけることにした。ぐるぐるぐるぐる廻って、そのうちふわふわのバームクーヘンになっちまおうかな。わたしのたわいもない白昼夢でした。                         

ハドソン

 

 

2000年8月14日月曜日

本当のことに気づかず、情報ばかりを信じ込んでいる世の中の人間たちは、ゴールデン・レトリーバーという犬種を総じてひとくくりにしようとする。性格はおとなしく、飼いやすく、人を噛んだり、吠えたりしない人間にとってとても楽な犬種だと誰もが思っているようだ。

わたしは侵入者に対して猛烈に吠える。特にバイク便青年と電気代の集金おじさんは吠えてくださいと顔に描いてある。でも性格はおとなしい。わたしが3才の時、男主人Hの右手を噛んだ。Hは血だらけになって病院に駆け込んだ。かなりしまったと思ったが、Hは懲りることなくわたしをかわいがる。だからわたしは今暇さえあればHの手をなめるのだ。こんなことで少しでも薄れる罪であるならば、Hが棺桶に横たわってもなめ続けてあげよう。

ハドソン

 

 

2000年8月13日日曜日

今日はお盆で人が少なくなったこの東京の片隅で、一句浮かんだのでそれを書こう。

わたしは背中に 満月をはりつけて  
自分の家の庭を歩いている                   
額縁のような窓枠の中で  
蝉の亡骸のように眠る息子に  
わたしはまなざししか与えられない                   
露草を踏む素足が 光りだした  
早くしないと わたしは  
醜いいちじくの木になりそうだ
ハドソン
          
 
            
 

 

2000年8月11日金曜日

わたしの最も嫌いなことの2つに、女の酔っぱらいと椅子の上でのうたた寝がある。と、昨日書いたが女の酔っぱらいだけで終わってしまっては、かたて落ちである。椅子の上でのうたた寝のことも書かねばね。男主人Hはわたしがいなければもう5度ほど、フローリングの床に右側頭部をしこたま打ちつけて、死んでいるか、半身不随になっていることだろう。彼は椅子の上で居眠りをするのがとても好きらしい。毎日といっていいほど午前1時になると、ぎゃーぎゃーとうるさいテレビの前に坐り、黙々と煙草を吸い、たまににやにやして夜を過ごしている。そして朽ち果 てそうな幽霊船上でHは船を漕ぎ始める。右、左、右、左。3回目の右傾斜で見事に、わたしの黄金色の腹部に落ちる。わたしにたいした痛みはないが、「え、何が起こったんだ」という精神的ショックが大きいし、同じように現状をつかめないでふらふらするHを見たときの情けない気持ちは嫌である。とにもかくにもろくでもない主人二人に愛されていることは確かで、わたしも丁度ろくでもない犬なのだ。

ハドソン

 

 

2000年8月10日木曜日

わたしの最も嫌いなことの2つに、女の酔っぱらいと椅子の上でのうたた寝がある。女主人Dはたまに泥酔し、朝方タクシーで帰るなり、わたしに酒臭い息をふきかけて「ハド、ハド、おとなしくしてたのおー」と 言いながら、尻尾を高いヒールで踏んづけながら、首を絞める。と、思った途端「はい、あっちに行って、服に毛がつくからね」そう言って自分はさっさと二階へ上がり、服を着たままベッドに倒れ込んでいる。わたしは人間ほど痛みは感じないから、尻尾を踏まれても大丈夫だし、心が人間より広いからその身勝手さにもついてゆけるが、人一倍、生物一倍敏感な鼻にとって、あのアルコールの臭いはいただけないのだ。それでもわたしはベッドの脇が好きで、そこに横になる。Dが目覚めないことを祈りながら静かに眠る。明日はもうひとつの嫌いなことを書こう。

ハドソン

 

 

2000年8月8日 火曜日

五時の夕飯の後、突然雷鳴がとどろきだした。不肖の一人息子バクは雷が大嫌いである。屋内にいるというのにピカッと光れば天井を見つめ、ゴロッと鳴ればハアーハアーと息を荒げて家中をうろつきまわる。その姿がかわいいのか女主人Dは「バク、こわいの」と言っては喜んでいるのだ。Dがちょっといなくなった隙に息子バクは炊飯器の横に今食べたものの半分ほど嘔吐した。そこへ男主人Hがやってきて、何も言わず、おもむろにペーパータオルで嘔吐物をきれいにかたずけてしまった。バクはまだこの世の終わりが来たように騒いでいる。何も知らないDがやってきてHに言った。「バクって雷がなるとおかしくってかわいいのよねえ」Hは「まったくだ」と答えた。わたしは階段の踊り場で寝たふりをしながら考えた。ここはひとつわたしもベッドの上にでも吐いてやろうかと。いやいやそんなことをしてもばかばかしいだけだとすぐに思った。ある雷鳴が鳴る夜のお話。

ハドソン

 

 

2000年8月7日 月曜日

夕方、わたしが廊下に寝そべっていると、奥の2階からこの家の主である老人S がやってきた。七十数年間このかた力仕事などしたこともない手で、わたしの首 をこすり、「おすわり、おすわり」と顔をひきつらせながら言う。わたしはしか たなくすわる。するとS老人は「よし、よし」と言いながら、わたしの頭を軽く たたき、便所にはいる。わたしはなんとも言えないため息を吐きながら思うのだ。 目的の無い行為ほど疲れるものはないと。犬だからおすわりをするのは当然だ、 などと考えている人間がいたら、わたしの前を通る時いつもお辞儀をして欲しい ものだ。便所の中からタンを吐く音が聞こえてきた。もうじき夜だ。

ハドソン

 

 

2000年7月31日 月曜日

ついにわたしは日記を付け始めることにした。いや別に大した理由があるとかでなく、こう毎日寝ているばかりでは、犬の道を転げ落ちたとき、なんだか後悔するような気がしてきたからだ。

わたしは生まれて7年になる雌犬のゴールデン・レトリーバーである。家族構成は主が二人、老人が二人、23才の娘が一人、でかい金魚が3匹、毎日朝晩散歩に連れていってくれるおじさんが一人(ただしこの人は風呂に入って、夕飯を食べて帰ってゆく)そしてわたしの一人息子バクである。

ちなみに人間界と違って犬界には、男言葉とか女言葉は存在しない。より均一化した、いわば真の平等があるから、この日記の口調もこんな感じで進んで行くだろう。

ああ、もう今日は疲れたから寝ることにしよう。おやすみ。 

ハドソン

 


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