ダリエちゃんの歌には 日本的なかんじがするのに全く知らない不思議な空間がひろがってる。
におうような そっと触れられているような まっすぐに見つめられているような 五感に直接訴えかけてくる歌。
他人には決して言えない大切な秘密を持った時に こっそりと ひとりで聞きたい。 たからもののようにして聞きたい。
新居昭乃(ミュージシャン)
2000年、夏の終わり、
いやがる夏の尻尾を強引につかみながら、
わたしはまだ水の中に浮かんでた。
夏と遊びたい。
聞き分けの無い子供みたいに、まだまだわたしは
水から上がれない。上がらない。
CDが届く。ダリエさんからだ。
水の中で聴く。
ダリエさんの声が夏の終わりの光を乱反射してる。
水の中の私に万華鏡のような物語。
エメラルドグリーンに光る小さな魚が、
真っ白な腹を光らせてわたしのそばを飛び跳ねる。
やっと夏の光を堪能した気がして、水から上がった。
あのエメラルドグリーンの魚の正体は
ダリエさんじゃないのかなあ。
もう一度、陸の上でこのCD聴いて探してみよう。
2000年8月末日 小川摩利子
(「パパ・タマフマラ」パフォーマー、女優)
やさしいメロディと歌声につい気をゆるすと、
鋭い言葉に突き刺されてケガをしそう。
でも、こちらが身がまえると今度はフワリと抱きかえられる。
いったい甘くて意地悪な彼女の世界に向き合うには、
どうすればいいの?――
でも、何度もはぐらかされたり、
チクリと刺されたりして途方に暮れたその後にこそ、
本当の救いや快感が待っているような気がして、
またリピートボタンを押してしまうのである。 香山リカ(精神科医、作家)
何かの拍子に、“私はほんとうにいるんだろうか ”と思うとき。
ダリエちゃんはきっと、
ものすごくどうしたらいいのかわからなくなって、
それだから、声を出すのだ。
じぶんの声が消えないように、
ずっと聞こえていて終わらないように、
声がうしろからまえの声を追いかける。
そうしているうちに、
心の中心で何かが少しわかったように思えてきて、
なぜかひとりで照れて、その後でやっと、ほっとするのだ。
内藤礼(アーティスト)
わたしより背が小さいけれど勝ち気である。
わたしより声が変だけれどそれは主観だ。
わたしより音楽人生は短いけれど、仕事となれば多くの大衆が納得するものを作る。
わたしより食べる量は少ないが料理は上手い。
わたしよりわがままであるけれど、それは才能の一部だ。
わたしの庭と彼女の庭は同じぐらいの広さだろうけれど、はるかに多くの植物が彼女の庭には咲き乱れる。
その中でも極一部の慎ましく、潔い花たちのつぶやきをこのアルバムでわたしは聞いた。
鈴木博文
ダリエさんの言葉や音符は、
とっても無重力で、聴いていると、たまらなくふわふわしてしまう。
あの神秘的な瞳に操られるなら、 このまま銀河まで飛んでいきたい気分だ。
松本隆(作詞家)
|
|
|
Copyright(c)2006 D's work house.All rights reserved.
|