第22回 『境界線』

 今日までの人生を大雑把に分けると、私は二種類の土地で生活してきた。
類い稀な独特の街、東京と大阪。
この二つの街は互いに混ざり合う事をとても嫌う。どれほど撹拌され表面上は親和が認められているように見えたとしても、ふと気がつくと元どおりに、それぞれがピタッと収まるべき場所に収まっている。まるでドレッシングの酢と油がきれいに分離するかのように。
二つの街を分つ界面はユラユラと乱れながら四六時中互いを侵食しようとするけれど、だらしなく境界線が滲み出る事はけっして無いのだ。

『土地柄』という、恐ろしくあやふやで、かたくなに片意地の張った、偏屈で融通の利かない厄介なもの。
厄介なこれに暮らしぶりを左右され続けたお陰で我こそが○○気質の代表格だと思い込んでしまった人々の一筋縄ではいかないこだわりの姿勢が、せっかくの和気あいあいとした雰囲気にちょこっと水を差す事がある。

たとえば「お雑煮」に代表される、地域固有の譲らないレシピ。普段は食にそれほど構わない人が、こと「お雑煮」となるとやれ味が違うだの餅が丸いだの、ぼそぼそ控えめに主張するものではないだろうか。
言葉にするしないの個人差はあっても、誰だって自分の家のお雑煮が世界一美味しいと心の中では信じて疑わない。自分の家の犬が世界で一番可愛いと、世界中の飼い主が確信しているのに近い。
ぼそぼそ主張された側は、どうでも良い事なのに必要以上に気分を害したりする。すごく理不尽なクレームに感じて、もう二度とその人物にはお雑煮を作ってあげなくなったりする。
その家庭のお雑煮を否定する事は、その家庭のすべてを否定する事に等しいのだ。家庭の数だけお雑煮の掟がある。そしてその掟のほとんどは、土地柄に左右される。
私が作るお雑煮に白味噌は欠かせない。

お雑煮に対するクレームほどではないが、前々から釈然とせず不思議に思うことがある。
よく出身地が関西圏以外の人達から聞かれる事。
「大阪の家庭には必ずタコ焼き器があるって、本当?」
「一家団欒の夕飯の献立が一週間に一度はお好み焼きって、本当?」
そんなバカな!
大きな誤解である。
これは私の個人的な意見だが、タコ焼きもお好み焼きも「お食事」にはなり得ない。あくまで趣味の食べ物だ。しかるべき馴染みの専門店で食べる、またはおみやげに買って帰る、小腹を満たすための「おやつ」の一種だ。
そして各家庭にタコ焼き器が存在するという説も、また誤解である。何を以て一般的とするのか、一般家庭の基準値ほど微妙で難しいものは無い。その幅広さは計り知れない。が、取り合えず我が家には存在しない。私が知る限り、ポコポコと丸い凹凸があって、およそタコ焼きを焼く以外他に使い道の無さそうなあの鉄板を家の中で目撃した事は無い。
「関西人は納豆を食べない」という通説が現実と大きくズレているのと同じだろう。関東育ちである母が父との生活に持ち込んだ納豆は、まず父の好物となり、私が生まれる頃には食卓に当たり前に登場するごくごく一般的な食材だった。もちろんどこにでも売っている。

────だがしかし、タコ焼き鉄板を購入するとなるとスーパーでパック入り納豆を買い求めるのとは事の重みが違ってくる。
先日仕事先の九州出身の女性から話しを聞くに、なんでも彼女の実家にはタコ焼き用鉄板が四〜五枚あって相当な頻度で自家製タコ焼きを食べるのだと言う。「大阪では一家に一台タコ焼き器説」をなんとか覆そうと力説する私も、さすがに萎えた。そして今まで一度もタコ焼きを焼いた事が無い私は、「慣れると簡単なのよォ」と朗らかに語る彼女が、どうにも羨ましくなってしまったのだ。

昨今東京でも人気の高い「タコ焼き」。
某有名チェーン店の、ふわふわと大きめで比較的ゆるめな食感。味も様々なタイプがあって、これはもはや「タコ焼き」とは呼べないだろうという物まである。
ここ数年、目ざましい勢いで固定ファン層が拡大しているとの噂を聞き、どんなものかと面白半分知り合いのコンサートの楽屋見舞いに一度買い求めてみた。
ひと通りの種類を網羅した大量のタコ焼きを嬉々として持参し、控え室へ。一時間後には研ぎ澄まされた蒼白き音像の支配者となるべくステージに立たなければならない音楽戦士の皆さんに、うやうやしく手みやげを差し出す。
「熱いうちに皆さんでどうぞ」
と一応はすすめておいて、当然買ってきた私も御相伴にあずかるわけだ。問題の新種タコ焼きのお味は、評価の下しようのない中庸な印象。でもこの曖昧さがブームたるゆえんなのだろう。

ところで大阪生れの大阪育ちである私がタコ焼きの味にうるさいかというと、これが意外とそうでもない。
日頃から特にこだわりを持って食べ付けているわけでも無いので、本場大阪の出身とはいえタコ焼き事情にはとても疎いのだ。
タコ焼きと言われて先ず思い出す事といえば、まだ子供の頃、足繁く通っていたバレエのお稽古の帰りにお教室仲間と屋台のタコ焼きを買い食いした事ぐらいだろうか。親から買い食いは禁じられていたので、実にドキドキの経験であった。
真冬、レッスンを終えて教室の外に出てみればすでに日はとっぷりと暮れている。これから満員電車に乗って暖かい晩御飯の待つ我が家に辿り着くまで小一時間くらいか‥‥そう思った途端、一気につのる空腹感。ついつい駅前商店街脇の出店から漂うタコ焼きの香りに誘われて誰からともなく小銭を探す。
全員申し合わせたように髪の毛をキュッとお団子に結ったやけに姿勢の良い娘達が、お稽古着だの勉強道具だのガチャガチャ大荷物を肩に提げながら、すぐそばの駅改札から押し出される会社帰りのサラリーマン達の流れを避けるようにアーケードの隅っこで人目を憚りつつ健気に身を寄せあって、口のまわりにソースや青海苔がくっつくのを構おうともせず焼きたての熱々を夢中でハフハフと頬張るのだ。
空腹が取りもつ不思議な連帯感とも相まって、あのタコ焼きの味は格別だった。実際どんな味だったのか、正直なところ思い出せないが、とにかく楽しい、忘れがたい記憶として今も私の中にある。美味しかった幸せな記憶と言うよりは、同じ稽古場でともに学ぶ仲間達との、幼いながらも心に強く感じた、絆の記憶だろう。
学校も住んでいる町もそれぞれ違う、制服私服の入り混じった、激しい身長差がどこか微笑ましくもある、しかし一様にしゃきしゃきとした集団であった。

タコ焼きに想いを馳せる時、当時の稽古仲間達との熱き心の交流がくっきりと胸に蘇ってくるのに較べ、味の方は今一つ記憶が頼り無い。
タコ焼きをめぐる人間関係が一番目、味は二の次という感じだ。
こんなにタコ焼きが全国区で人気者になってきたというのに、「とにかくタコが入っていればタコ焼きと認める」程度の執着の薄さ・・・、大阪で生まれた女としてはかなり情け無い部類に属するのかも知れない。
たまの帰省では、とくに最近になって色んな事を再認識させられる。十九年もかの地で暮らしたのに中途半端な関西弁しか操れず、愛想良く行き先を告げたはずがタクシーの運転手さんからミラー越しに睨まれる。繁華街に出れば右も左もわからない。おまけにタコ焼きにも疎いとくれば、段々トホホな気分にならざるを得ない。

そんな折り、なんと妹がタコ焼き屋を開業したのだ! 
それも会社勤めの空いた時間を利用して、いとも簡単に商売を始めてしまった。
海外ブランド社の契約社員など軽〜くこなしながらチャラチャラとバブル全盛期を謳歌し、株価が底値となる御時世にあってはいきなりタコ焼き屋・・・。タコ焼き器の無かった我が家で一緒に育った姉妹とは思えぬ両者のギャップに目眩をおぼえた。私が一度も焼いた事が無いのだ、さして変わらない環境にあった妹も絶対にタコ焼き初心者であったはずだ。実際彼女はあくまで経営者なので、自ら積極的に「焼き」に加わるわけではないと言う。
腕の良いバイトの女の子を雇い、味付けも工夫を加え、そうこうするうちに様々なノウハウをどんどん吸収・・・それでも趣味の範疇を出ない道楽だろうとタカを括っていたが、あれよあれよの内にますます本格的になってきて、今度は弟と一緒になって新しく店をオープンさせたのだ。
はたで見聞きするだけでは「タコ焼き屋さんごっこ」という感じだったのだが、水面下では実に念入りなオリジナルの販売マニュアルを作成し、店のイメージ作りをしっかりと固め、着々と下準備を重ねての事らしい。たしかに容れ物の箱から包装紙、ユニフォームに至るまで、ほんとうに可愛らしい洒落っ気に満ちている。
売り上げはとても好調で、ゆくゆくはフランチャイズ展開も考えているのだそうだ・・・。
聞いているだけで地面が揺らぐ。
家族の仕事が好調なのはもちろん喜ばしい事なのだが、私がここまで疎い「タコ焼き」というカテゴリーで、妹弟達が水を得た魚のようにのびのびと商売を楽しんでいると思うと、私の心境はどうも複雑だ。
いや、きっと羨ましいのかも知れない。

ごく最近「境界線」をテーマにしたパフォーマンスに触れた。小さな石が心の中に投げ込まれた。目の前のパフォーマー達の作り出す「カタチ」や「温度」や「コトバ」はゆっくりと時間をかけて私の中に入り込んでくる。やがては作者のコンセプトからはみ出した「わけのわからない私だけのナニカ」となって、脳細胞をチクチクと刺激する。
生まれた場所や、家族や、友達。
そう、色んな事をもう一度キチンと見つめてみなくてはね・・・。この頃はもっぱらそんな気分なのだ。

(了)-2001.4.12-