ALBUM「Darie」 本人による作品解説

 
1.微熱
ある音楽イベントに出演する際、せっかくなので新曲を・・・と書き下ろした曲です。曲作りとアレンジと歌詞書きをほぼ同時に進めましたが、短時間であっさりと形になってくれて、しかも最初の打ち込みデータをその後ほとんど修正していません。時間をおいてちょこちょこ細部をいじるのが好きな私としては、珍しいことです。
この曲を一人で歌うと、ゆっくりとまわりの空気が動いていくような気がする。ピアノのイントロを弾き始めると同時に、甘くてゆるい風に囲まれているような気分になってしまう。静かに歌えば歌うほど、皮膚の内側の温度がチリチリと上昇していくようで、私にとっては少しコワイ歌。

 
2.みゅう
ライブシリーズ「シャモそば麦トロの宵」が始まる更に何年か前、ひっそり何度かワンマンライブを催していた事がありまして、そこで歌うために作った曲です。
初演当時はもちろんのこと、CDに収録されているものも、私が一人で歌っています。歌詞は単一の視点で書かれているので、一人のボーカリストが最初から最後まで歌い通すのが、本来なら自然です。でも私のライブを何度かご覧になった事のある方なら、この曲は2人もしくは3人のボーカリストによって歌われる曲でもある事をおそらくご存知だと思います。ゲストにお呼びした方とハモる、一時ユニットを組んでいた相方とハモる、サポートメンバーの方々とハモる・・・。男性と歌う時にはその方の声の高さに合わせて曲のキーを変えて演奏する事もしばしばありました。このデュエットバージョン、歌っている側にとっては実にスカッとするし、お客さまの反応もとても良いのです。いつの日か機会があれば音盤化してみたいものです。しかし誰と・・?
曲が生まれてから何度も何度もアレンジが変化し、色んな形を試みました。私の手元にはたくさんのバージョンのデモテープ版「みゅう」が存在します。最終的にアルバムに収録されたものは、ちょっとテクノな感じに。

 
3.私の幾粒かの涙
大変にショッキングな事件が比較的身近なところで起きた・・・それによって作られた曲だと、長い間私自身が思い込んでいたのです。しかし今となってはその時の創作衝動を克明には思い出せません。「そう」であったから、この歌を作る気持ちになった・・とは、あまり思いたくない。本当はもっと個人的で確かな衝動が私の心に中に発生していたはずで、「とある」出来事はほんのきっかけとして背中を押したに過ぎず、それゆえ無自覚に作った曲だ、としか言えません。そのあたりの事は、もうどうでもよくなってしまって、実のところ作っている最中の記憶がたいへん曖昧で、気がついた時にはすでに出来ていたのでした。
何度も歌ううち、私が作ったはずの歌詞は、そのたびに違った景色を私に見せてくれるようになります。始まりに確かに存在したであろう激震の記憶は、もちろん消えてはいないのですが。

 
4.そんな女に私はなりたい
日記でもないし、詩のつもりでもなかった、あえて言うなら「雑文」や「散文」が適当かもしれない。そんなコトバのモチーフ集の中の一編でしたが、ある日、曲をつけてみたのです。スルスルと書いた散文なのだから、無理せず力まずスルスルと歌いながら。取りあえずはシャモそば麦トロの宵Vol.6(1998.6.2)で演奏する事が決まっていまして、そこでゲストとしてお迎えするSaxプレイヤーの方も決定していたため、楽器編成をふくめて「枠」は自ずと固まっており、良い感じで曲作りが進みました。そしてライブで演奏。そこでの形をほぼ再現するような・・・いえ、それをはるかに上回った熱演によるレコーディングでした。シャモシリーズで私をずっと支えてくれたサポートミュージシャン達との顔合わせでしかできない演奏を、きちんと録音しておきたかったのです。それもライブ盤ではなく・・・。
そして今さらあえて書く必要も無いとは思いますが、歌詞の内容は、個人的な真実に基づく捏造や空想です。私は小柄で無力な女のままで充分楽しい。

 
5.SECOND CRY
FIRST CRYが「産声」。であれば、もしも人が生まれ変わることが出来たなら、そのとき産小屋に再び轟き渡るものは、SECOND CRY・・・なのではないだろうか。と、ポンと膝を打ち、さくさく作ったのがコレです。気圧の低い、心ざわつく日の出来事。
私の場合、曲とコトバは別々に、端切れ状態のままどんどんコンピュータのハードディスクに放り込んでおきます。メロディーとコードに簡単なリズムパターンで構成された音楽のラフデータ達は常にPCに補充保存されており、気まぐれな作者の創作ペースにあわせて出番を待っている状態。それぞれに簡単な仮タイトルがついています。ちなみにラフ段階でのこの曲のタイトルは「ジャズ的5拍子希望なし」。暗めの曲で5拍子で、ゆくゆくはジャズ的アプローチを目論んでいるぞ、という事なんでしょうけど、我ながらあまりにズサンなネーミングです。いくら作者にだけ分かれば良いメモ代わりの仮タイトルとはいえ・・。
突発的に生まれたややダークな生まれ変わりにちなむ歌詞をのせるべく、この「ジャズ的5拍子希望なし」がようやくフォルダの隅っこから引っ張り出され、めでたく正式タイトルがつくこととなったのでした。

 
6.電線
シャモそば麦トロの宵Vol.4(1994.10.3)にゲストとしてお迎えしたのは、栗原正己氏率いる栗コーダーカルテット。栗Qが結成されてまだ間も無い頃でした。
ゲスト出演のお願いを栗原氏にしてみたところ、せっかくだし何か一緒にやれる曲があると良いですね、とのお言葉を賜り、「ハイそれならば」・・・と書き下ろした曲です。共演を前提として作った曲なので、デモテープの段階で、歌+ピアノ+リコーダーという編成になってまして、それをもとに栗原氏にリコーダーアレンジをお願いしたのでした。
彼等と演奏するために生まれてきた曲なのですが、私の記憶によればこの「電線」をコンサートで栗コーダーカルテットと共に演奏したのは、確か3回きり・・。ちょっと少ないですねぇ・・。また機会があればぜひご一緒したいものです。
作っている最中、色んなモチーフが頭の中に去来しました。パリに不法滞在しつつタンゴを踊りながら暮らすブエノスアイレスからの一座のお話、旅芸人の記録、迷宮に入り込む姉と弟・・・、他にもいろいろ。珍しくいろいろ考えたにしては、出来上がった歌詞の内容にあまり反映されていないのは何故・・?

 
7.サメの憂鬱
大学時代に借りていたマンション。現在の家に越してきてからもセカンドルームとしてずっと借り続け、外国帰りの友人の当座の仮住まいになっていた事もあるし、気分転換にたまに立ち寄って一晩一人で羽をのばすなどという分不相応で優雅な使い方をしたりもしましたが、このアルバムが出る前の年にようやく解約したのでした。
学生の時からの作品だの道具だの楽器だの洋服だの書籍だの、当時の日常をそのままにほったらかしで置いてきた部屋なので、とにかくモノが多くて気が遠くなるような量・・・。解約に際して、それらを1週間泊まりがけで整理していた時、わいて出てきた歌です。
毎日毎日様々なものを捨てて捨てて、少しずつからっぽになっていく部屋で、毎晩色んな事を考えたものです。お仕事こそ順調だったものの当時はまだこのアルバムを出せる展望の影も形も無かった・・。曲だけはやけに沢山あるのに、自分に適したリリース環境を見失いそうになっていた時期でした。「ああ、私はこれから音楽家としてどう生きて行こう・・」みたいな事をボーッと考えているうちに、どういうわけだか「サメ」が出現〜っ!眉唾みたいですが、これがほんとに、なぜだかサメの歌になっちゃったのです。

 
8.小指の約束
「ピアノデモ」と称されていた、文字どおりピアノと歌のみの、しかし決して弾き語り的ではない、屈強なリズムセクションの存在をも想像させる、不思議なデモテープを大量に作っていた時期がありまして、その中に紛れていた曲です。歌詞を読むと、そんなに激しい私生活だったのかしら・・と思えてしまうほど、現在の私との隔たりに驚かされます。かれこれ15〜6年は昔の曲。
新旧入り混じる何十曲ものデモテープを聞きながらこのアルバムのための選曲作業をしていた時、本命陣どころか三軍あたり位置していたこの曲を録音してみてはどうかと進言したのは、かつて私の1st.アルバムをプロデュースした鈴木博文でした。作った当時の青さや幼さをあっさりと乗り越えて、再構築する・・。自分を深く辿っていくようで、面白い作業でした。

 
9.ひと束の夏
ピアノの弾き語り、なのです。私のようなミュージシャンの場合、つまりピアニストでもあるシンガーソングライターの場合、弾き語りはどうしても収録せねばならない運命にあるようです。もう少し違う立ち位置もあるのでは、と毎回思いながらも、結果、こうなってしまうものなのです。
完璧に温度や湿度が管理されたスタジオで、メンテナンスの行き届いた状態の良い高価なピアノを弾く機会にもしばしば恵まれますが、この曲には我が家の小さいグランドピアノの音色がよく似合います。羽田という土地で、重たい海の匂いを含んだ風にいつもさらされているような湾岸スタジオのピアノの響きが、私は大好きです。

 
10.抱いて抱いて抱いて
そもそも人物設定や物語り背景、最終到達状況を定めて計画的に歌詞を書くのが、苦手なタチではあります。アニメその他のイメージアルバムなどで歌詞を書く際の、企画やキャラクターが明確な場合は別ですが、自分用の曲では許される範囲で可能な限り、感覚的にアプローチするよう努めることにしているのです。というか、自然とそういうモノになっていってしまう。
だからというわけでは無いけれど、段取り良く歌詞を組み立ててゆく経験や技術が、私にはちょっとばかり不足していたせいもあるでしょう・・。いや、ひょっとすると最初から作りたかったのはコッチなのかも知れない、としか思えない。嗚呼こんなはずじゃぁ(泣)・・、って何がいいたいのかを書きますと・・・。
この世にはもういない人を愛す・・・たまにはこういう深遠な世界を追求してみよう!と作り始めたまでは良かったのです。「死んだ恋人=二人称♂」と「彼を今でも愛する人物=一人称♀」のお話。語り口はもちろん一人称の「彼女」によるもの。ホイホイ調子にのって書きはじめ、2番も中盤にさしかかろうという辺りで、一人称と二人称の立場がグルンと摺り替わってしまったのに気がついた時には、もう遅かった・・・。それからあとは事実関係(?)の修正が不可能なまま最後まで一気に書き進むことになり、完成時には「死んでしまったワタシ」と「生きているアナタ」のラブソングになってしまったのでした。
天使のできそこないの女子と、彼女を何度でも何度でも抱きしめる男子の歌。
イントロの繰り返しフレーズや本編でのあちらこちらで、昔作った某浄水器のCMのモチーフをちりばめております。放送回数の少ないCMだったので、御存知の方はまずおられないとは思うのですが・・。

 
11.デイジー
曲の由来もろもろに関しては、当サイト内の私のエッセイ「デイジーのこと、その1」および「デイジーのこと、その2」をお読みいただくことをお薦めします。ぜひ。
長く音楽という分野にかかわって来て、いつも強く感じることですが、私が自分自身で全てを作ったことなど、実は一度もないのではないか・・と。アイドルを持たず、目標となる人物もおらず、広大な音楽エリアで迷子になりそうになる事もあるけれど、それでも自分の音楽を生み落とすときに、苦しみを伴った事は一度もありません。常にナニカに助けられたり、ナニカに導かれている。
「デイジー」を作らなければならなかった理由や原因は、偶然私の心の中を通りすがったようでもあり、すでに用意されていた必然のようでもあるのです。 (この『Darie』解説文は、2002年5月2日に書かれたものです)

 


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